About “Asahi”
豚肉の一大生産地「旭」
南は黒潮、北は利根川 全国3位の養豚県に
豚肉といえば九州のイメージがある方も多いかもしれませんが、実は千葉県は、鹿児島県及び宮崎県に次ぐ、全国第3位の養豚県なのです。私たち、旭食肉協同組合のある旭市をはじめとした東総地域が主な生産地です。九十九里浜と利根川に囲まれた温暖で恵まれた環境で子豚たちはすくすくと育っています。
県全体で288戸の養豚農家が614,400頭の豚を飼育、年間およそ87万頭の豚を出荷、豚産出額は546億円にのぼります。
千葉県は落花生や梨、コメなどの農産物、すずき、まかじき、まいわしなどの水産物が有名で、陰に隠れてしまっている感もありますが、その歴史は古く、江戸にさかのぼります。
なぜ千葉県で養豚が盛んなのか、その歴史をみていきましょう。
庭でイワシを食べるブタ
千葉県の養豚は、「天保年間(1830年代)に上総国山邊郡上武射田(カミムサダ)、下武射田(シモムサダ)、豊成の三村に於いてこれを飼養せる者あり」という記録により、のちの山武郡、現在の東金市のあたりがその始まりとされています。
千葉で養豚が始まった1930年代以前の文政年間(1818~1830年)、すでに銚子にはしょうゆ醸造業者は20軒ありました。これは、近隣に関東平野をひかえ、良質の大豆や小麦、塩を江戸川や利根川の水運を利用して手にいれることができ、また、作った製品を江戸市中に運ぶことができるという良い条件がそろっていたためです。当時の江戸幕府は、生活物資の関西依存から抜け出すために、江戸周辺の産業育成に意を注ぎました。そこで醤油の産地として発展したのが千葉県の銚子だったのです。
当時の養豚といえば、それぞれの農家が庭で数頭育てる「庭先養豚」が主流。養豚といってもとても規模の小さいものでした。なんでも食べるブタは生産農家に一匹いると便利だったのです。当時は畑に肥料としてまくほどイワシが大漁でしたので、庭先の豚は栄養たっぷりの魚を食べることができたのです。
サツマイモとしょうゆ粕をエサに
エサについては、「いも豚」の名の通り、この頃から甘藷つまりサツマイモも多く食べていました。千葉県はサツマイモ生産量も全国2位(2020年)。それは江戸時代(元文年間)、飢饉を救うため八代将軍吉宗の命により、現在の千葉市幕張でサツマイモの試験栽培がされたことに始まります。のちに甘藷先生とよばれる青木昆陽の研究のおかげで千葉をはじめ、東日本でも栽培が広がったのです。そして銚子の醤油工場からでるしょうゆ粕(かす)。大豆由来の脂肪分、ビタミンEやビタミンK₁、イソフラボンといった機能性成分が豊富でエサにはぴったりでした。これらの千葉県の特産は養豚を現在のような全国規模にしてくれた大きな要因でした。恵まれた環境がそろい、醤油、農作物、水産物の産地と豚の飼育地が重なり、大消費地江戸が近いことで発展したのです。
SLに乗るブタ
明治期になり、養豚が産業として成り立ちはじめます。
明治時代中頃、旭食肉協同組合理事のご先祖様は利根川の水運を利用して、船で豚を買い付けに行ったそうです。利根川を上り茨城県の竜ケ崎や成田まで行き、生きた豚を買い、竹籠に入れてまず銚子まで船で運び、舗装されていない道をリヤカーに乗せ、さらにそこから総武本線を走るSLに乗せて東京へ出荷しました。現在は高速道路をたくさんの豚を乗せたトラックが走っているのを見ることがありますが、道路が整備されていない時代に重い豚を運ぶことは大変な苦労を伴うことでした。
そして大正期。岩崎久弥(三菱財閥)が印旛郡富里村七栄(現富里市)に末広農場を開設し、種豚200頭を常備し、最高1,000頭が飼育され、ハム・ソーセージ・ベーコンなどの加工品も生産されていました。その後に設置された農林省畜産試験場、県立佐倉種畜場とともに、優良種豚の供給地として千葉県の養豚の基礎が築かれたのです。
フォードからダットサンへ
さらにもう一つ、発展に寄与する立地的な利点がありました。
昭和に入ると、漁港である銚子には、魚のための製氷工場が作られました。その氷を肉の保存に使うことができたのです。銚子で枝肉(血液や皮、頭部、内臓などを除去し、これを中心線に沿って背骨のところから2分割したもの)のおなかに氷を詰めて冷やす方法は、昭和40年代まで続きます。ダットサン(日産自動車の前進の会社、快進社がつくった国産小型車)の後ろにむしろを敷き、そこに枝肉を乗せ、またむしろをかけて運びました。旭食肉協同組合の岡野さんのおじいさまはダットサンなどの国産車もなかった昭和10年代、アメリカフォード社のピックアップトラックを購入、運搬に使っていたそうです。
鹿島の飼料工場とともに
昭和になってしばらくしても「庭先養豚」が続きましたが、激変したのは昭和39年東京オリンピックの頃でした。人口の増加、需要の増加に併せ、冷蔵車といったインフラが整備されたことが大きな要因として挙げられます。地域的には昭和30年代に鹿島に大規模な飼料工場ができ、いまでは一般的な配合飼料が生産されます。その大規模な工場が鹿島にできたことは、距離の近い千葉県の養豚農家にはたいへんなメリットでした。昭和初期には50頭で大規模といわれた養豚が、現在では母豚で1,000頭いないと大規模とは言われなくなるほど規模が拡大しました。なかでも、古くから良質なエサに恵まれた千葉県は鹿児島、宮崎につぐ産地として常に良質な豚肉を食卓に提供し続けています。