旭食肉協同組合

設立50周年記念
インタビュー

昭和46年に設立した旭食肉協同組合は、2020年9月をもちまして50年目を迎えることができました。
これもひとえに皆様の長年に渡るご支援、ご愛顧の賜物です。心より感謝申し上げます。

設立50年を記念し、設立当初から旭食肉協同組合の歴史を築いてこられた

旭食肉協同組合 理事長 井上 晴夫氏

株式会社アサショウ 顧問 越川 正義氏

のお二方とともにこれまでの歩みを振り返らせていただきます。

養豚の街、旭・匝瑳。温暖な気候と大消費地・東京へのアクセスの良さを生かし、一大産地として発展してきました。創業当初のコピーは「鮮度品質日本一」。看板に背かぬ実績を築いてこられたのは、歴代の経営陣による大きな決断力とぶれない経営方針によるものでした。

昭和46年 地域の養豚家による共同の精肉加工・販売を行う組織として
旭食肉協同組合を設立
旭食肉協同組合設立の頃のお話を伺えますか?

井上氏 昭和30年代後半、所得倍増計画を掲げた池田勇人内閣から東京オリンピックの時代より高度経済成長期に入り、日本がどんどん経済的に豊かになってきました。食の洋食化が進み、肉がさかんに食べられるようになり始めたのもこの頃でした。

越川氏 当時はまだ骨がついたままの枝肉を卸すのが通常だったため、街の小売りのお肉屋さんは枝肉から骨、脂、スジを取り除く技術が必要なまさに「職人」といえる職業でした。一般の消費者は肉は肉屋、魚は魚屋、野菜は八百屋で買う時代でしたが、こうした個店中心からスーパーマーケットが出現し始めたのもこの頃です。

旭食肉協同組合

旭食肉協同組合 理事長 井上 晴夫氏

旭食肉協同組合

株式会社アサショウ 顧問 越川 正義氏

井上氏 そうした中、加工技術が無いスーパーマーケットに向けて旭地区の畜産業の問屋で共同のカット場を作り、カットされた状態で卸すアイディアを思いつきました。その実現のために設立したのが「旭食肉協同組合」だったのです。

「これからは骨をとったカット肉の時代だ」という先見の明があったのですね。

井上氏 そうですね。
カット場の創業は昭和46年、稼働は翌47年でした。 地域の食肉問屋への説明会を開き出資を募って、大新産業の花澤重治氏が社長となり旭市より払い下げられた現在の土地を購入して、旭食肉協同組合を設立しました。私がまだ26、7歳の頃です。

他にもこのような取り組みを行なっているところはあったのでしょうか。

越川氏 当時、このような共同で食肉加工を行おうという目的で作られた組合は全国に類を見ませんでした。「共同加工システムのパイオニア」といってもいいかもしれません。

井上氏 その後、スーパーマーケット業態はさらに発展し、総合スーパーが各地に生まれました。早期に取り組んだことが結果としてその後の発展に寄与した部分はあったかもしれません。

旭食肉協同組合

千葉県旭市

平成12年 製造販売を分離し、より高品質な豚肉を提供することを目的として
株式会社アサショウを設立
株式会社アサショウの設立について教えてください。

井上氏 株式会社アサショウを設立したのは平成12年です。製造販売をする組合とは別により高品質な豚肉を提供していきたいという思いから別の組織を作りました。新しい会社ではハムやソーセージなどの加工品にも力を入れていこうと考えていました。

平成13年 今や組合の看板商品となった「千葉県産いも豚」の誕生
旭食肉協同組合
組合の商品の中でも代表的なものになっているブランド豚
「千葉県産いも豚」の誕生についてお聞かせください。

越川氏 旭でいも豚を始めたのは平成13年ごろでした。三元豚という品種が広く育てられるようになり、各地で様々な銘柄豚が生まれてきました。私たちもそこでなにか独自の差別化ができないか、と取り組んだのが「千葉県産いも豚」でした。

「千葉県産いも豚」誕生でのご苦労はありましたか。

井上氏 まず飼料会社さんとエサの改良を始めました。いもの配合割合を変えながら数年単位で試行錯誤しました。しかし、エサだけでは変わらない部分があることもわかりました。それは豚がストレスなくすくすくと育つ環境が必要だということです。そこで、とりわけ良い環境である5つの農場を選び、そこで飼育・生産された豚だけに「千葉県産いも豚」のブランドを掲げることにしました。

現社長吉田さんが入社された経緯についてお聞かせください。

井上氏 吉田さんは私が社長の頃、商社にいて出向でアサショウに来ていました。商社で働いているだけあって、いろいろな知識が豊富で、大変助けられました。この頃のアサショウは加工も始まり、原料の内製化も進め、かなり成長した時期でもあります。

平成15年 将来の事業拡大を見据えて工場を大改修
工場も整備されており、規模の大きさに驚きました。

越川氏 前の工場は創業以来使っていたものでかなり古くなっていたのですが、平成15年に全面改修して今の工場にしました。平成23年の東日本大震災の時には、幸い大きな被害は受けませんでした。そのタイミングで新たに事務所を建設し管理棟と一体化することでより効率的にしました。また5年前の平成27年には新工場を建設し、外部に委託していたハムやソーセージを自社で製造できるようになりました。現在では新たな事業の核として、順調に育ってきています。

平成22年 枝肉を衛生的に搬入するため枝肉懸垂車を県内で初めて導入
ドイツ製の加工機械も多数導入されていますね。

越川氏 これらの設備投資に関しても、井上理事長が「お金の心配は要らない」と言ってくださったことで実現したものです。組合や会社が品質第一でお客様に商品をご提供することができたのも、理事長のおかげだと思っています。

旭食肉協同組合

ドイツ製の加工機械

平成26年 安全安心な商品を提供していくためにISO22000認証を取得
井上理事長は好機を逃さず、数々の大きな決断をしてこられています。大切にしている理念がおありですか。

井上氏 アサショウ創業時からの決め事として、利益の1/3は社員に、1/3は配当に、1/3は未来への資金にする、ということを続けてきました。これを20年間守ってきました。お金の心配をしていては、よいアイディアは浮かばない、という思いからです。また、「よいものをリーズナブルに」提供したいと考え、実行してきました。

旭食肉協同組合

アサショウの豚肉

令和2年 旭食肉協同組合設立50年目を迎える
旭食肉協同組合

旭食肉協同組合直売所

設立50年を迎えて、今の思いをお聞かせください。

井上氏 現在、組合やアサショウにはとても優秀な人材が集まっています。養豚に関してもみな、さまざまな試みをして成果を出してくれています。組合が設立50年、アサショウが設立20年を迎えましたが、今後もよい形で続いていってくれると考えています。

越川氏 組合に入って50年、当時はあまり仕事もなく経営も厳しい状況にありました。井上理事長がアサショウを設立以来、組合と車の両輪のように協力してやってこられました。アサショウがなければ今の組合はなかったと思います。今後も協力しさらに発展していかれればと思います。